2017年02月28日

さとなお:すし㐂邑(二子玉川)二回目

伊藤さん、一回飛ばしてすいません。
全体に「外食」(外で食べること)自体が少しカッコ悪くなりつつもありますよね。若者中心にハレとケの区別がなくなってきて(というか、ケで十分楽しいという背伸びしない方向になってきて)、時代は「家メシ」に大きく舵が切られている気がします。外で食べるとしても高級系より身の丈系。

それと、

>と同時にぼくは、予約が全く取れなくなってしまった店は
>興味も失います。答えは単純で、予約が取れなくなった時点で
>お店はその場に安住し自分のスタイルに疑問を持たなくなり
>変化や発展、進化は見込めない可能性が高いからです。

これ、同じようなことをある噺家さんがおっしゃっていました。「独演会ばかりする噺家は成長しない」と。
寄席だと「自分の噺」を聞きに来た人じゃない人もたくさん来ているけど、独演会は自分を聞きに来る人しか来ない。そうすると笑いのハードルがものすごく下がり、そんなに面白くなくても好意的に笑ってくれる(最初からその人の噺に笑いに来てるから)。

それに対して、寄席は、アウェイのことも多く、ファンじゃない人たちが集まる中で笑いと取らないといけない。これはとても鍛えられる、と。
寄席中心か独演会中心かで、長い間にはとても大きな差になるとおっしゃっていました。独演会中心だと、一部の天才を除いて成長が止まる、と。

レストランでも同じようなことは言えますね。
若くして独立し、予約が取れない店になったりすると、一部の人を除いて、“変化や発展、進化は見込めない可能性が高い”とボクも思います。

とはいえ、美味しいとどうしても人気店になるわけで、仕方ない部分もありますけどね。

その点、5年前にも一回書いたと思うけど(さとなお:すし㐂邑(二子玉川))、二子玉川の「すし㐂邑」は、あの立地にして全く予約が取れない人気店なのに、「変化・進化」を止めない点だけをとっても、天才のひとりなのかなと思っています。

自己模倣に陥らず、常に変化し続ける。
ものすごく人気がある現在の自分を、意識的に変化させていく。

成功体験を常に脱ぎ捨てていくって勇気がいります。
それを軽やかに実践している印象が、この店にはあります。

全部で20回は通っているでしょうか(いや、もっとかな)。
縁あって、ここのところ立て続けに伺ってるんですが、特にここ数年の「変化・進化」がすごいです。

熟成鮨って、腐る寸前まで熟成させるせいか、アプローチを間違えるとどのタネも違いがなくなってくるところがあると思うんですよね。どれもアミノ酸系の似た味になってくる。タネの個性が薄れるというか、同じ味の方向にまとまっていくんですよね。

数年前まで「㐂邑」はそうでした。
おいしいんだけど、どのタネも味が似ていた。

でも、ここんとこ、使う魚によっての熟成具合を掴んだのでしょう(個体差含めて)。タネごとに見事に個性が出ています。ここに至るまでの試行錯誤の道程を思うと本当に気が遠くなります(いったいどのくらいの魚を腐らせて無駄にしたのか)。

握り以外の料理も常に変化し、むちゃくちゃうまい。
いや、㐂邑、いま本当にオススメです。
親方の木村さん、他店もよく食べに行っているし、イタリアンシェフとコラボしたりして、刺激を自ら作っているようにも見えます。

変化・進化を止めない「㐂邑」。
特にいま乗っていると感じています。

posted by さとなお at 08:28| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする