2015年09月30日

いとう:津之守坂 よねやま(四谷三丁目)

「シェ・ピエール」そんな思い出があったんですね。
ビゴの店からピエールについてのお話、なんとなくとても懐かしく聞かせていただきました。さとなおさんと出会った当初、まださとなおさんは関西に暮らしていて、すでに東京だったぼくに、よく関西の話をされていたことも強く思い出しました。独立して興した最初の事務所に結びついた記憶。決して消えることはないかと確信します。新しいオフィスでも、ご近所にお馴染みができたらいいですね。

ではぼくも、チャレンジつながりで続けてみます。

四谷三丁目と二丁目の、新宿通りから靖国通りへと下っていく坂を津之守坂といます。四谷市ヶ谷千駄ヶ谷と界隈は「谷」ばかりなんだけど、それでもとても坂の多いエリア。そしてまた、その坂のひとつひとつに情緒あるステキな名前がついていて、ぼくはこの界隈を散策するのが大好きなんです。

そしてここ、津之守坂の中腹から少し下がった辺り。ひっそりと、でも10年以上前から「よねやま」という割烹があったことをご存知でしょうか。店の雰囲気からすると、割烹というより小料理屋と称したほうがしっくり来るのかもしれません。オープン当時、価格を抑えつつも本格的な日本料理が味わえる店として評判を呼び、数々のグルメ誌にも掲載されていた記憶があります。

また、津之守坂の風情やお店に至るアプローチがとてもいいんです。
荒木町の映画のセットのようなレトロな雰囲気も好きだし、四谷駅前のごとく雑多な飲食店街も決して悪くない。でも津之守坂は、そのいずれにも属せず、静かで拡張高く、かつ「よねやま」は路面なので、タクシー等での行き来もとても楽。よくまあこんな場所を見つけたなあと、オープン当初「よねやま」の立地に感動を覚えたものでした。

個人的には、現状維持でも十分に継続していけるやに感じていたんですが、店主は、静かに静かに次の展開を考えておられたようで、飲食業界が決して安泰ではないこの時期に意を決してリニューアル。新しく「割烹」らしい割烹として生まれ変わりました。

もともと、ロケーションや佇まいは申し分なかったのですが、店主によると、京都で親父と若い弟子がふたりぐらいで営む、それこそリアルに割烹という言葉がふさわしい店にしたかったとのこと。
個人的には、木屋町の「やました」みたいな店かなあと思いつつ、でも「千花」なんかもイメージしながら、そんな話もふってみたら、当たらずとも遠からず。ぼくの持つ京都の割烹らしさと、店主の考えるこれからの「よねやま」が合致した瞬間でした。

ただ、あくまで東京の日本料理店なので京都のような薄味の料理を出すつもりはないと言い切ります。醤油の風味が利いた、あくまで輪郭のハッキリした料理。目指すもの、すべてのフレームをしっかりと確立させてのリニューアルだったんだなあと、改めて思い至る、そんな感じ。

そんな話を聞いたわけではなく、整然と食器が積み上がった棚を背にし、店主がてぎぱきと動き回る姿に、京都の割烹がシンクロしていました。料理は、ある種日本料理の華である八寸みたいな大仰なデコレーションを組むのではなく、適度な大きさの皿に、一盛り一盛り丁寧に食材を集中させながら、客が食べるペースに合わせて提供するスタイル。美味しさとともに、リズムを重視する流れは、まさに客の立場にたった展開で、本当に心地よい時間でした。

ただ、まだまだリニューアルオープンをしたばかりで、店主も慣れていない部分が少なからずあり、料理を提供することばかりに時間が取られている感じがしました。京都の割烹を目指すからには、京都の旦那筋のような、わがままな要求にをいなしつつ、適度に客とのコミュニケーションを取れるようになれば、晴れて願いの成就となるかなあとか考えています。


posted by 伊藤章良 at 23:50| 和食(小料理・割烹・郷土料理) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月01日

さとなお:シェ・ピエール(乃木坂)

伊藤さん、すいません、一日更新遅れちゃいました(最低でも月一更新は死守しようってこの前言ったばかりなのに・・・)。

その東麻布の店、当時よく行きました。当時の最先端でしたよね。そういうチャレンジがとても目新しく感じられる時代でもありました。

さて、では今回はチャレンジつながりで。
1960年代、まだ子供たちが駄菓子に夢中になっている時代、本格的なパンなんて望むべくもなかった時代、日本にフランスパンを広める、というチャレンジをしたフランス人がふたりいます。

ひとりは、関西のフィリップ・ビゴさんです。
芦屋に「ビゴの店」を開いて、それが当たったのでわりと有名ですね。

ボクは関西勤務時代、このビゴさんの本店兼レストランのすぐ近くに住んでました。で、大柄で朗らかなビゴさん自らの給仕をレストランでよく受けていました。なので、いまでも東京とかでビゴの店を見かけると、なんだかとても親密な気分になります。ビゴさん元気かなぁって。

でも、同じく立役者なのにビゴさんほどは知られてないのが、乃木坂の老舗ビストロ『シェ・ピエール』のオーナーシェフ、ピエール・プリジャンさんですね。

ボクは、東京に転勤で戻ってきて、長年勤めた会社から独立して事務所を開いたのが乃木坂でした。
その事務所がある小さなマンションの横が「シェ・ピエール」でした。
日本で、フランス人オーナーのビストロとしては一番古い(1973年創業)、ということは知っていたのだけど、このピエールさんが「日本にフランスパンを広めたもうひとりの立役者」とは知らなかったなぁ。

神戸の老舗(今年で創業110年)のパン屋「DONQ(ドンク)」に、このピエールさんとビゴさんのふたりがいたんですね。ドンクのサイトから引用してみます。

日本ではじめて本格的なフランスパンの製造、販売を開始した1965年当時、フランス産の小麦粉は輸入されておらず、良質のフランスパンを作るのは非常に困難でした。そこで、日清製粉株式会社様がドンクにフランスパン専用粉の開発を申し出、当時ドンクで働いていたピエール・プリジャン氏やフィリップ・ビゴ氏がテストを重ねながら、フランス国立製粉学校の教授レイモン・カルヴェル氏指導のもと、リスドオルと命名されたフランスパン専用粉を完成させました。用いられたのは、日本で手に入れることのできた小麦のみで、フランス産の小麦はもちろん入っていませんでしたが、そのクオリティは高く、はじめてフランスパンを口にした日本人を感動させただけでなく、在日のフランス人たちをも大いに喜ばせたのでした。
小麦が一部自由化された現在においてもリスドオルの評価は高く、焼き立てのパリパリ感と中身のしっとりとした甘さは、リスドオル特有のものといえます。

そう、このふたりが「日本のフランスパン」にものすごく大きく貢献しているのです。
ビゴさんは独立して芦屋に「ビゴの店」を開き、ピエールさんはビストロ「シェ・ピエール」を開いた、ということです。

ビゴ本店の近くに住んでいたのみならず、ピエールの隣にオフィスを持っているとは、なんとなく縁を感じます。フランスパン普及の苦労話をピエールさん本人の口から聞いて以来、ボクの大切なレストランのひとつになりました。

この店、2年前に40周年だったんですね(場所は一度移転している)。
40年、日本でビストロをやっていると、それなりに日本人の舌に合わせてきている部分はあるかもしれません。でも、外観や内装の本場っぽさ(本当にパリっぽい)も相まって、これこそフランスだなぁと毎回思います。

なんというか「ずっとずっと日本にフランスパンやフランス料理を広めるために営業しつづけてきてくれたピエールさんの日々の言いしれぬ努力がすべて入った滋味溢れる味」という感じ。飾らない、素朴で実質的な、でも奥の深い、長い歴史がじっくり煮込まれたようなありがたい味。そういう印象です。

この店でモンサンミッシェルから直送のムール貝とか、日本一のブイヤベースを食べてると、本当に日本にいることを忘れます。ピエールさん本人も頻繁に客席に顔を出してサービスしてくれるのも含めて。

そして、これはマダムのおかげだと思うけど、装飾品も多いのに、清掃が驚くほど隅々まで行き届いていて気持ちがいいです。本当に清潔でコージーな空間なのです。

この店に行くたびに、本質的な意味で「日本のビストロの先駆け」であり、「精神的支柱」なんだなぁ、と思います。新しい店も大切だけど、こういう店にもっともっと敬意を持ちたいですね。

実は昨日、乃木坂から表参道にオフィスを引っ越しました。
「あ、オフィスの場所? 青山葬儀場の真ん前の『シェ・ピエール』の隣のビルの4階だよ」とか、もう人に説明できないんだなー、ランチとかにふらっとピエールさんに会いに行くことももうないんだなー、と思うとちょっと寂しいです。

昨晩、そんなことを想いながら帰路についていたので、今回は「シェ・ピエール」を書いてみました。50周年、60周年と、ピエールさんに元気でいてほしいです。日本の宝です。

posted by さとなお at 06:55| フレンチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする